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今という瞬間を生きる「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」の意味とは?

こんにちは。
大阪市浪速区にある真宗佛光寺派の「超願寺」です。


お寺というと先祖供養だとお思いの方も多いですが
本来、仏教を知りたいという想いに応える根本道場でもあります。


堅苦しくならず、わかりやすくお伝えできればと思っておりますので
どうぞよろしくお願いいたします。


「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」。


これはとても有名な言葉です。
人間は、この世に生まれてくるとき
何一つ持っておらず、丸裸の状態で生まれてきます。
その心も、真っ白な状態で生まれてくるのです。


ところが、大人になっていくにつれて
いろいろなものを身に着けていきます。
知識や共用ばかりではなく
欲望や執着心を身にまとっていく。


物欲は限りなく膨らんで
たくさんのものを手にしていく。


しかし、それらを持って
あの世に旅立つことは誰にもできません。


生まれたときに「無一物」であるように
死ぬ時も、また「無一物」に帰っていくのです。


何かを手に入れることは決して悪いことではありません。
手に入れたものに執着することが
ときに、自分の心を苦しめることを知ってください。


全ての欲望や執着心をなくすことはできませんが
人間は本来何も持っていないことを意識することはできます。
それを意識するだけでも、欲望や執着心は
薄皮のように剥がれていくはずです。


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